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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

which okano? -- an answer

まぁ,錯誤は,動機の錯誤で表示されてなけりゃダメだよね,となりますが。不法行為も何となく無理そうですね。そうすると,なんでこういう請求が成立しなくてもおっけーなのか,が次の問題。

商号の使用許諾をすると,消費者が自分と間違えて許諾先と取引してしまう。それによって効用が低下するという損害を被るわけで,不法行為を認めることが望ましいとしたら,それは,このようにして消費者に発生したコストを許諾元に内部化させるものとして機能するからだ,ということになる。だとすれば,不法行為が成立しなくてもおっけーだ,といえるためには,このコストの内部化がなされていればいいわけです。

で,考えてみると,100%とは言わないまでも,そこそこのところは不法行為を発動しなくても内部化されていそうだ,という気がします。

消費者ATの身になってみると,誤解して購入してしまった許諾先の商品の価値をベースにして,許諾元の商品の価値を推定するわけで,許諾先の商品の品質が低ければ,許諾元のブランドイメージも傷つくことになるので,下手な許諾先に対して商号使用許諾すると,許諾元は自動的に損害を被る。そうすると,許諾元は,許諾先に対して,商品の質をきちんと維持するようモニタリングするインセンティヴが出てくるわけで,その限りにおいて消費者に発生するコストは内部化されてることになるわけです。

ただし,これでも内部化されないコストはあり得て,たとえ許諾元の品質と許諾先の品質が100%で同じであったとしても,それでもやっぱり許諾元のを食べたい,という「こだわり」があった場合,それの毀損は内部化されにくい。それでもいいのか?ということになるけれど,まぁ,①そういう「こだわり」があることは滅多にないし,②立証も難しそうだ,というところで割り切るんでしょうかね。

もっとも,以上のお話は,不法行為が「なくてもおっけー」ということしか言っていなくて,不法行為を「認めちゃいかん」ということは言えてません。そこはどーなのか。

制度設計の仕方としては,(a)商号使用権を許諾元に割り当てて,あとはその人のモニタリングに委ねる,という行き方と,(b)商号使用権は廃止して,全部消費者からの不法行為(今度は許諾先に対して)に委ねる,という行き方がありそうで。そうすると,お馴染みのお話ですが,(b)の方では,損害額が少額になるから,全ての消費者に訴訟提起のインセンティヴがあるとは限らない。なので,suboptimalなdeterrenceしか発生しない。これに対して,(a)の方だと,ちょうどclass actionのように,消費者に発生するコスト(上に書いた「こだわり」を除く)が許諾元に集まってくるので,まぁ普通は提訴インセンティヴが十分に存在するので,よりoptimalに近い状態が実現できる。そして,こういう風に許諾元のところで処理させる以上,その後の個別の消費者の損害については,個別に不法行為訴訟の提起を認めると,裁判制度利用のdeadweight lossが二重に発生するから,それなら,不法行為を認めない方がいい,と。

こういう風に説明すれば,不法行為を「認めちゃいかん」というところまで言えそうな気がするけど,どんなもんでしょーか?