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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

jlea

会員でも何でもない法と経済学会から,7月に行う全国大会でパネリストやってくれん?という依頼が来ました。柳川せんせ経由だったので,「ただより高いものはない」というのを再認識させられた次第。和牛商法とかネット電話商法とかと同じですね。ヤラレタ

でまぁ,法と経済学会ってあんまり好きになれない(というか,日本で「法と経済学」を自称している人たちにあんまりまともな人っていないよね,というのは一部の人々の間で共通認識なのではないかと思う次第)こともあって,何とか依頼を断る理屈を作れないかとがむばってみる(←法律家は悪しき隣人)。

理由その1。

パネルのタイトルが「法学にとっての経済学教育」ってなってるけど,それを法と経済学会でやっても無意味ぢゃん。来るのは,経済学者の他には,一部の法学者(←もちろんこれにはすさまじいself-selectionがかかってる)なんであって,そういう人たちに「経済学をおべんきょするのは大事ですねー」と言っても「はいはいそーですねー」で終わるだけ。非効率以外の何物でもない。効用アップがあるとしたら,「『はいはいそーですねー』が会場全体の雰囲気になった」ということに満足を感じるプロパガンダ大好き人間だけでしょ。

このテーマのままでマジでやるなら,例えば私法学会のシンポでやらなきゃね。それも例えば,シンポを①家族法,②経済学,の2本だけにして,多くの人に②に行かざるを得ない状況を作り出す(水野せんせ,ごめんなさい)。こうすると,そもそも私法学会に来なくなるという問題が出るかもしれないけれど,私法学会は,「年に一度の飲み会」(うは)な側面もあるから(それしかないという説もあり),まぁみんな来るような希ガス

逆に,もし法と経済学会でやるなら,テーマ変えて,「法学音痴な経済学者(と「法と経済学」者)が法制度を分析すると,いかに過つか」or「経済学者(と「法と経済学」者)にとっての法学教育」にすべきような気がします。

理由その2。

さらにパネルのタイトルの副題が,「新古典派ゲーム理論か」となっているんだけれど,意味不明。microのペーパーでゲームを使ってないペーパーなんてあるの? って気がします。例えば,AER/JPE/QJE/Econometricaの最新号をぱらぱらっと見て,ゲーム使ってない(純粋な統計系や単純な実証系を除いて)ペーパーを見つけるのは至難の業なんではなかろーか。ゲームは新古典派(←これの定義が今市わからん)の中に完全に取り込まれていると思うんですが。

そうすると,ひょっとするとひょっとして,ゲームをちゃんと勉強したことのないご老人経済学者(ないしはそもそも経済学をやってない法学者)が,「今更ゲームまで勉強するのは大変だから,今までやってきた単純な経済学だけでペーパー書きたい」っていうことなんでしょうかね。それって,一昔前(もっと前か...)のツールで分析される対象の法学にとっても悲惨だから,そういうお方がいるとしたら,さっさと淘汰されて市場から退出していただくのが,競争が機能していることになるし,世のため人のためだと思うんだけどなぁ。

という趣旨のことを,柳川せんせに返信してみました(一応もちっとマイルドな文章で)。

(追記)

返信が来ました。

理由その1については,確かにそうなので,実質的に「法を分析する際の経済学の使い方」にしちゃっておっけー,という感じ。

理由その2については,一応数年前に日本経済学会でこの問題はかなり盛り上がっていて現実が完全競争市場に近いかそうでないかという点で議論はあり得る,それに,この副題にこだわるつもりではない(修正の見込みあり),だそうです。

うーむ。うまいなぁ。断れん..... orz