hopping around

~ヘタレ研究者は今日も逝く~

just expressions?

よく分からないお話:

婚外子の記載拒否、住民票不作成は合法 夫婦側逆転敗訴

よく分からないのは,判決じゃなくて,記事の最後にある

「『嫡出でない子』という表現は差別であ」る

という部分なんですが。

「A」というものと対になって使われる「not A」という「表現」が差別だ,という発想ができるのがよく分かりませぬ。「公開会社」に対して「公開会社でない会社」という(面倒くさいので非公開会社と呼ぶ人が多いと思うけど)「表現」も,差別なんだろーか。

さらに言うならば,ある全体集合が集合Xと集合Yに分割できるときに,それぞれの呼称として,「XとY」と呼ぶか,「Xとnot X」と呼ぶかは,そんなに本質的なことなのかがよく分からない。例えば,「人間」を2つの集合に分割して,「女と男」と呼ぶか,「女と女でない人間」と呼ぶか。どちらを使うのかは,「not X」という用語を使うコストと「Y」という用語を使うコストで自然に決まっている場合が多いような気がします。例えば,「Y」の数が少なければわざわざ「Y」という新しい単語を発明せずに「not X」という言葉を使う方が低コストで手っ取り早いけど,「Y」の数が多ければ「not X」なんてかったるい用語を使うよりも新たに「Y」という単純な用語を使う方が低コストですよね(上の公開会社のケースはちと違う観点からのコストベネフィット計算が入ってるけど)。

だとすると,もしも民法その他が嫡出子と非嫡出子とで何らかの要件効果を違えていることを前提とするのなら(違えていないのならそもそも区別する必要がないので,無駄なコストをかけているアホな記載要求。最近家族法やってないので,この辺り忘れてる...),両者を区別する処理には合理性があるし,その「表現」自体には問題なさそうな気がします。

むしろ本当の問題の所在は,

- 何らかの法律が,嫡出子と非嫡出子とで要件効果を違えているとしたら,その合理性

- 嫡出子の方が非嫡出子よりすぐれているという一般的考え方(そういうものがもしも存在するならば)

なのであって,「表現」を目の敵にするのは,江戸の敵を長崎で討とうとしているような気がしてなりませぬ。