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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

citing behavior

NBL8月1日号に蟻川さん(ファイナンスの方)と弁護士さんによる

風評被害立証における経済学的証拠の活用

というペーパーが載ってますが,これについて蟻川さんと話していたとき言われたのが:

弁護士と一緒に書いていてびっくりしたのが,引用するときに注の中で書くのと,いちいちページ数まで指定しなければいけないって言われたことだよね。その辺,もりたさんのは,経済学っぽい引用方法してるから,楽でいいよねw

そう,法学での文献引用の仕方って,2つ特徴がある。

一つは,参照文献リストを設けずに,注の中で個別に引用文献を指定すること。法律の書き方でたとえると,法学以外の社会科学が,2条に定義規定を設けてそこに全ての定義を放り込む形式をとっているのに対し,法学は,2条のような定義規定を設けずに,法律中にその用語が出てくるごとにそこに括弧書きで定義を書き,それ以後に出てきた場合には,その場所ごとに「○条参照」と書く形式をとっているようなものだ。

まぁもちろん,全ての論文をきちっと隅々まで目を通すという前提であれば,どちらでもあまり変わりはないのだけれども,たとえばざっと斜め読みしたいとか,どういった文献を引用しているかでその論文の問題意識の所在や執筆者のリサーチ能力を知りたいとかいうニーズがある場合には,法学の文献引用作法は非常に不便だ。あるいは,この前北大で小粥さんとやった「民法教科書総選挙」みたいな分析をやりたい場合とか(もしかすると,法学はそういった分析に今まで全く興味を持ってこなかったのかもしれない。他の分野では結構行われているのに...)。

逆に言うと,法学の論文っていうのは,そういう読まれ方を拒絶し,(どんなにつまらない論文であっても)隅々まできっちり目を通せって要求しているんだと言えなくもなくて,だとするとちょっと傲慢だなぁ,という気がしないでもない。

もう一つは,ページ数を指定するかどうか。これにはまぁそれなりの合理性もある。

普通の社会科学(自然科学もそうだけど)の論文って,たった1つの新しい独創的なアイデアを打ち出して,それを論証するために書かれるものであるのが普通だ(僕のペーパーも基本的にこの構造)。だとすると,ページ数をいちいち指定する必要はなくって,論文そのものを引用すれば,何を引用したかはだいたい明らかだ。

これに対し,法学の論文はしばしば,そういう風に1つのアイデアを打ち出すことを目的とするのではなく,あーでもないこーでもないと考えあぐねるプロセスを見せることを目的としていることがある。だとすると,どの部分で被引用箇所を言っていたのかということが重要になりうる。

とまぁ,フォーマルにはこういう理由付けができるんだけど,いったんページ数なしの引用になれちゃうと,面倒でページ数ありの引用には戻れないよねwww