いい試験とは?その2。
今朝の日経朝刊で,もう一つあれれと思った点。
それは,大学の偏差値によって受験生のレベルも違ってくるし,それによって受験生に要求できることの範囲も変わってくるよね,という点があまり理解されていなかったのかもしれないねぇ,というところ。
大学入試って,基本的に相対評価だ。受験生を順位づけて,上から定員に達するまでを合格者とする。
その際,上位校が(ちょうど一つ前のエントリで書いたUSのトップ大学のように)典型的な筆記試験以外の事項を審査対象にして篩い分けを行うなら,それなりに意味がある。
でも,筆記試験以外の能力を見ると言っても,たとえば小論文をかすことによって論理的思考力・表現力を見よう,と考えたとしても,小論文を書く能力のかなりの部分は,筆記試験で高得点をとる能力と相関している。
だとすると,中位以下の大学が小論文をかしたとしても,その問題にとりくむ受験生たちは,筆記試験の能力が中位以下の受験生たちばかりだ。そうすると,その受験生たちの小論文能力も,中位以下の受験生たちばかりになる。そういった受験生たちに小論文の試験を受けさせた場合に得点分布がどうなるかというと,点数が低い方に固まってしまう蓋然性が高い。そうすると,前のエントリで述べたように,測定の際の誤差が大きくなってしまう。
確かに,小論文を書く能力を大学入学生が備えていることは,大学教育にあたって(あるいはその後でも)重要なことだとは思うけれど,問題は,それを受験生に問うことによって,受験生の能力が正確に測定できるか否か,という点だ。もし,そのような出題が,その大学を受験する受験生にとって「高望み」過ぎてしまえば,そのような出題は,正確なふるい分けの機能を持たず,非常にノイジーな試験となってしまう。
だから,受験生の能力を測定するという観点からして「良い」試験は,受験生の能力をよく見て,そのレベルにあった出題にしないといけない。むやみやたらに通常の筆記試験以外の能力(たとえば,マークシートで足りるのに,あえて論述型の試験を設ける)を見ようとすることは,労多くしてかえって逆効果になってしまう危険性がある。
この話のしんしほーしけんへの応用についても,対談を待てw