ジュリストの交通事故での損害賠償額の算定基準に対して,
かつては,①定額化=低額化になってしまう
という批判があったというのだけれど,それに対して
算定基準で定められた基準額が相当かという問題であり,低すぎるのであれば,基準額をより高額にすればよいことであって,算定基準が存在することと低額であるということは関係しないといえる
っていう反論が書かれている(大島・ジュリ1403号11頁)。
一見もっともそうな反論なんだけれど,本当にこれで当たっているのかは,よく分からない。
ポイントは,被害者の損害賠償額は,特定の額に決まっている訳ではなく,一定のdistributionを持っているということと,被害者は,合理的に行動する能動的な主体だ,という点。
たとえば,定額化された算定基準として,このdistributionの平均値を採用したとしよう。これ自体は,至極まっとうな算定基準の決定方法のように見える。
けれども,この算定基準の下では,平均値より下側の被害者は,裁判所にやってこない。算定基準にしたがった額をもらった方が(そしておそらく,加害者側は保険を購入していることが多く,その算定基準に従った損害賠償額を支払ってくれる)望ましい。
そうすると,裁判所にやってくるのは,平均値よりも上側の損害が特に大きな被害者だけだ,っていうことになる。こういったクラスの被害者からすれば,算定基準にしたがった損害賠償額は,自分にとって必要な損害賠償額よりも低い額になるから,「低額化」が発生する。
というわけで,もしも,最初の「批判」が,こういったselectionによるcensoringの問題のことを言っていたのだとすると,大島判事のこの反論は,当たってないことになる。
さてどっちなんでしょうねぇ。