何度かこのブログでも書いたことのあるテーマの繰り返しになってしまうんだけれども,
冤罪をゼロにする
っていうことは,社会目標にすべきではない。
いやもちろん,other things equalならば,冤罪なんて少ない方がいいんだけれども。
だって,裁判制度は人間が運営するものだから,間違いが起こらないということはあり得ない(ちょうど,「何があっても絶対に事故らない原発」なんて作れないのと同じような感じ)。
そうだとすると,「冤罪をゼロにする」ことを実現するためには,刑法を廃止して刑事裁判を行わず,全ての犯罪をなくして取り締まりを止めることしか他に実現手段がない。
でもそれは,「犯罪者」がはびこって治安の悪い社会になってしまうので,(よほどの人を除いて)好ましくない帰結をもたらす。そういった帰結を好まないのであれば,冤罪がある程度発生してしまうというつらい事実を受け入れつつ,刑法を作って刑事司法を運営していくしかない。
つまり僕たちは,冤罪と社会の治安という,難しいトレードオフの中で,「ここまでのラインなら仕方がない」(もちろん,そのラインのあり得べき位置は,人によって違うのだろうけれども)という意思決定を行っていることになる。
という当たり前のことを,たぶん多くの人は分かっているはずなのだけれども,たまに分かっていない(ように見える?)人がいたりするんだよねぇ。そういう人たちって,本当に分かってないのか,それとも,こういう難しいトレードオフに正面から向き合って自分の頭で考えて結論を出すことから逃げているのか。