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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

reference letter

縁故採用宣言で岩波書店調査へ 厚労省 (47news)

というお話しだけど,何がいけないのか,いまいち不明。

普通に言われる(そしてよくないと思われている)縁故採用って,その会社の重要取引先とかに紹介された人だけ,他の一般採用とは別の基準で優遇してとることなんだろうと推測されるけれど(その場合には,採用基準が「公平」でないから?),この岩波のケースでは,そもそもそういった「不公平」な採用基準を使うよ,といっているわけではなく,紹介の有無を足きり基準として使って,後は能力等を採用基準として平等に使っているように見えるから,そもそも一般に悪いと思われている「縁故採用」とは違うように見える。

――それにそもそも,男女差別のような違法な基準ならともかく,そういったコネがあることを有利に(=「不公平に」)評価して採用基準とすることが,(国ならともかく一私企業が)悪いわけでもない。そういったコネを持つ,ということも重要な能力だし,会社の業績に対する貢献の仕方なんて,いろいろな形があっていい。だいたい,HarvardやYale,それに日本でも私学の合否の基準なんてまさにそれを狙っているわけで。

そう,紹介をもらう能力ってのも大事なわけで。岩波で書いたことのある教員なんて,まともな大学なら,必ず存在しているはずで(おそらく東北大法学部にもいるはず),その先生にお願いして紹介状を書いてもらえばいいだけのことで,それすらできないのであれば,ちょっと能力的に問題がある学生じゃん?って推定を働かせることは,いたって合理的な判断だ。特に,記事にあるように,1000人もの応募者があるのであれば,規模の小さい出版社の人事担当の余力を考えれば,そういったスクリーニングメカニズムを採用することは,ごく自然なことのように思える。

僕たちが,留学したり,研究資金の申請をしたりするときは,推薦書reference letterの要件がついていることがとても頻繁にある。逆に,僕も,ゼミ生たちのために,これまでに何枚も推薦書を書いてきた。誰から推薦書をもらえるか,そして,推薦書の中身をどう書いてもらうか――推薦書を書くときは,いい学生だったらきちんとその部分を具体的にほめた推薦書を書いてあげるし,あまりよくない学生であれば,当たり障りのない一般的なことだけを書いた(それしか書けない)推薦書を書くことになる――は,その人の能力についてのよいバロメーターになる,っていうのは割とよく知られた事実だと思っていた(だからこそ,どこも推薦書を要求する)んだけれど。

もちろん,べた褒めの推薦書を乱発する先生もいるけれど,そういった先生の推薦書は,受け取った側も大して信用しなくなってしまう,というreputation効果があるので,少なくとも僕は,出来のいい学生さんとあまり出来のよくない学生さんとでは,違えて書くようにしてる。

というわけで,厚労相がなぜそんなにカッカしてるのか,いまいちよく分からないのです。