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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

career path

先日,客員研究員として弊社に来ているTさん@MITとランチを食べながら,出てきた議論が大学院生のキャリアパスの日米・分野の違い。

米国の大学院(の一部)は,入院した後で激しい競争にさらされて,できる人以外はどんどん振り落としていく。成績優秀者には,TAとかRAとかの形でお金を払って経済的サポートも提供するけれども,そうでない人についてはドロップアウトしてもらう(UofCのEconなんかはこのスタイル)。

もちろん,米国の大学院の全てがこのスタイルというわけではなくて,入院のadmissionのところで厳しく選抜した上で,ドロップアウトさせずにできるだけ面倒見ていく,っていうスタイルのところもある(MITのPoliSciはこのタイプ)。

でも,どちらかと言えば,イメージは前者のスタイルの方が多いかな。

これに対し,日本の大学院は,成績優秀者に対して手厚い経済的保護を与えるというメカニズムはあまり持っていない(そうすることは不平等だ,って思想でも背後にあるんだろーか?)。なので,優秀な人も,そうでない人も,平等に経済的支援を受けられない,っていうシステムになるし,院生段階での選抜がうまく働かず,研究者としてはいまいちな能力な人も,最後まで生き残ってしまうことになる。

で,何で米国(の前者)のスタイルは,成り立ちうるんだろーね,ということが話題になった。

その原因の一つとして上がってきたのが,PhDをとれずにドロップアウトした人たちに対してキャリアパスが開けているかどうか,っていうことに依存しているんじゃないか,という点。

米国だと,途中でドロップアウトしても,いろいろなキャリアパスが残されている。仮にアカデミックポジションに向かうことができなくても,シンクタンクとか,あるいはPoliSciなら選挙コンサルタントなんて選択肢もある。

これに対し,日本だと,基本的には新卒(基本的に学部卒。ぎりぎり修士修了)でないと就職が難しいから,途中でドロップアウトさせてしまうと,就職が極端に難しくなってしまうからじゃないか,という意見。経済学だと,まだ,○○総研とかが拾ってくれそうだけれど,法学とか人文科学だとハードル高いよねぇ(ぇ

そうすると,日本の大学で院生をとるかどうかの意思決定にあたっては,「稼ぎのない大学生をやっていけるほど,実家の財力ある?」ってことを考えないといけなくなってしまう。

で,企業がそういう対応をする原因としては,米国の大学院だと,たとえドロップアウトであっても,コースワークを受けることで「最低限の知識・技量」が習得されている蓋然性が高いけれども,日本の文系大学院って,経済学(の一部)を除くと,コースワークがないから,「大学院で勉強したから,これくらい知ってるよね」っていうプラスアルファに関する,共通了解が存在してないからじゃないか,って話になった。

法学の研究においても,コースワークって存在しないわけだし(ある意味,司法試験をパスしていることが,コースワークの代替か?),なかなか差別化が難しい。

じゃ,大学院でコースワークを提供するのか,っていうと,法学のコースワークって何だろうね,そしてそれを教員が提供できるのかね,って話になる(法科大学院の卒業を要件にしていた一部の研究者養成課程の入学要件は,ひょっとすると,その辺も念頭に置いていたのかもしれない)。

などなど。他にもいろいろ議論は出たけれど,今日はとりあえずこのくらいで。