hopping around

~ヘタレ研究者は今日も逝く~

maybe tomorrow

maybe tomorrowといっても,stereophonicsのオサレな名曲のことではなく,こんにゃくゼリーについてだったりします。こんにゃくゼリーをのどに詰まらせて子供が死んだ場合に,こんにゃくゼリー製造者は製造物責任を負うもんなんだろーか?

まぁ,一般人がこの話を聞いておそらくまず最初に思うだろうと予想されるのは,「そんなこと言ったら,毎年お正月になったらお年寄りが餅をのどに詰まらせて死ぬぢゃん。こんにゃくゼリーがアウトで店頭から撤去されるなら,餅も店頭から消えることにならない?」というポイントじゃないだろうか。細かいことを言うと,こんにゃくゼリーの死亡率と餅の死亡率のどっちが高いのかは知らないけれど(もちろん,絶対数で比較しても無意味で,「実際にそれを食べる人」の数を分母に取る必要がある),とりあえず「客観的」な危険性は同じくらいだとしておこう。

似たような問題はあちこちであって,有名な(都市伝説という説も)「濡れたネコを乾かすために電子レンジに入れる」とか「マクドナルドで食べ過ぎて肥満になった」とかと,ポイントは同じなような気が。つまり,どんなものであっても,リスクがゼロになるということはあり得ない。だから,事故の発生というリスクに対する予防行動は,常に製造者と利用者(こんにゃくゼリーだと親とか保育施設の監督義務)の双方がとらなければならなくて,問題は,予防のためのインセンティヴを,どちらにどれだけ割り振ることが効率的なのか,ということになる。

面白いのは,こんにゃくゼリーと餅の「客観的な」死亡率(=ランダムに1000人選んで投与したら何人死ぬか?)が全く同じであっても,効率的なインセンティヴの割り振り方が両者で違ってくる可能性があり得るところ。

その1。こんにゃくゼリーと餅とでは,利用者側のoppotunity costが違うかもしれない。日本人にとっては,餅を食べられないということのopportunity costは,こんにゃくゼリーを食べられないということのopportunity costに比べてはるかに高いかもしれない。お餅が好きな日本人は多いだろうし(僕も大好き),特に正月に食べたいという人は多いだろう。こんにゃくゼリー食べたことがないのでどんな味なのか知らないけれど... 万が一おいしかったらopportunity cost大きいかも。例えば,餅をあまり食べない文化の国では,opportunity costは小さい。

その2。死亡率に関する情報の普及率が違うかもしれない。例えば,電子レンジは乾かすものでなくて加熱するものだという情報,マクドナルドで食べれば太るという情報,老人が餅をのどに詰まらせやすいという情報は比較的よく知られているから,利用者側の予防コストが小さいのに対し,こんにゃくゼリーをのどに詰まらせやすいという情報はあまり知られていないから,利用者の予防コストが相対的に大きくなる。だとすると,こんにゃくゼリーの危険性についてパッケージに記載したり広告をうったりすれば情報は広まって予防コストは小さくなるかもしれない。

その3。けれども,単に現時点での情報量の問題だけでなくて,path dependentなコストの違いが出てくるかもしれない。例えば,食品の安全性があまり問題にされていなかった時代から危険性が認識されていた餅については,「餅をあえて食べるならその危険性が分かって食べるよね」という行動基準が暗黙のうちに普及してしまっているのに対し,食品の安全性に敏感な時代に危険性が徐々に解明されてきたこんにゃくゼリーについてはそれとは逆の行動基準が既に定着してしまっていて,危険性についての情報が普及しても従来の行動基準を変更するのにより大きなコストがかかるかもしれない。いったん成立した社会規範がより効率的な状態への移行を阻害する,っていうシナリオですね。

その4。製造者側の予防コストが違うかもしれない。多分違うんだろうなー,と思いつつも,想像力貧困なのでどう違うかは分かりませぬ。

というわけで,望ましい結論がどうなるかはいろいろな要素を考えなければならないけれど,仮に現時点では製造者側がこんにゃくゼリーについて責任を負う方が望ましいという結果になっても,その2とその3について製造者側が広報活動とか頑張れば,将来いつか望ましいルールが変わるかもよ,ということでmaybe tomorrowなのです。