hopping around

~ヘタレ研究者は今日も逝く~

japanese

入学試験(前期日程)が終了。川内周辺が大渋滞してたけど――自家用車とかタクシーとかでなく,増発されているバスでみんな来ればいいのに――,まぁ皆様おつかれさま。

国語の問題を見てて思ったのだけれど(古文漢文はだいぶ忘れてきたなーというところはあるが,現代文は楽勝)。

日本の教育における現代文って,おそらく中学生から高校生にかけてのあたりで大きく変化する。

小学生から中学生までは,いわゆる「物語文」というのか小説というのかがメインであって,「○○の気持ちはどのようなものか」みたいな感じの問いの割合が高いのに対し,高校生くらいからは(そしてその延長線上にある大学入試も),いわゆる「論説文」がメインになる。

なので,前者が得意で,「国語って好き」と言っていた子供は,高校生頃に到来するこのフレームワークの変更について行けないと,突然,国語が苦手科目になる。これに対し,前者が苦手で,「国語って嫌い」って言っていた子供は,このフレームワーク変更にうまく気づくことができ,論説文を読むだけの論理的思考力を持っていれば,国語ができるようになる(気づかなければ,苦手なまま)。

で,大学以降で要求される能力って,後者の「論理的な文章を理解して,論理的に議論する能力」がメインになってくる。そうだとすると,それを本格的に学び始める(もちろん小学生の頃から「説明文」と呼ばれるジャンルはあるけど)のが,日本の教育システム上そんなに遅くていいのかなぁ,というところが,ちょっと気になる。

まぁ,もちろん,僕は教育学のプロではないので,どのレベルで何を教えるのがベストなのかについて定見を持っているわけじゃないけど。たとえば,小学生に論理的な文章の理解の仕方を教えたら,読書が嫌いになりそうだ,なんてデメリットは十分にあり得そうだ。