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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

negotiable instruments

『支払決済法』解題シリーズ・その7。

今回はのお題は,「『有価証券法理』は必要か?」

指摘があったのは,たとえば,船荷証券なんかで「文言証券性」っていう用語が,裁判例においても使われているんだから,やっぱりそういう概念を不要だと言ってしまうことは問題なんじゃないか,っていう点。

けれども,本書の立場からすれば,それでもやはり有価証券法理は不要だ,っていうことになる。

確かに,船荷証券に関する裁判例で「文言証券性」っていう言葉がキーワードとして使われることがある。しかし,ポイントは,

- 本当に裁判所は,いわゆる「有価証券法理」という形でそういう判断をしているのか?

- そういう場面で「有価証券法理」を持ち出すことは,問題解決に役立つのか?

という点。

船荷証券の文言証券性が問題となる状況っていうのは,要するに,運送契約に記載された合意内容と船荷証券という一種の契約に記載された合意内容とに不一致がある場合に,その不一致を誰がどのようにリスク負担することが合理的か,っていう状況だ。

そもそも,有価証券の文言証券性っていっている「有価証券法理」自体が一枚岩じゃない。2本の契約書があったときにどちらを優先させることが合理的であるかは,どちらの契約書の内容をチェックするコスト(リスク)をどの当事者にどのように配分することが合理的であるかによって決まるから,有価証券のタイプごとに全然違う。そして,そのことを――もちろんこういう言い方ではないけれども――いわゆる「有価証券法理」も認めてきたから,実は,「有価証券には文言証券性がある」というだけでは何の問題解決にもならない。その有価証券がどのような有価証券なのか=どういうリスク配分が合理的なのか,を考えない限り,結論は出ない。

だから,「有価証券だから○○だ」っていう思考方法では,判例は結論を出していないはずだし(表面上はそう見えたとしても),そのような思考方法は問題解決に役立たない。

つまり,本書の発想方法は,手形小切手だけでなく,それ以外の有価証券――商取引法の分野で扱われるような有価証券――にも妥当する,というのが本書のスタンスからすると一貫した考え方になる。

ちなみに,小塚さんに言わせると,彼の『ケース商行為法』はまさにそういうスタンスで編集されてるから,是非そちらもどーぞ,とのこと。