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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

case note

院生さんが判例評釈を書いていて,添削を繰り返してver 17まで来てしまっている件について。

 

判例評釈なんて,論文と違って,書くことは決まっているわけで。事実と判旨を書いた後は,イントロの後に,先行裁判例・学説の整理をした上で,当該判決の判示内容を確定した上で,先行裁判例・学説の中に位置づける。ここまでが最低限やるべきことで,後は,当該判決に対する評価とか射程(最高裁なら)を付け加えたければ付け加えればよい。

もちろん,この過程で,当該判決の判示内容の確定が難しいこともある(たとえば,判旨の読み方が複数通り成立しうるとか,そもそも判旨が何を言っているかよく分からないとか)けれど,基本的には(細かい流派はいろいろある。民法研究ハンドブックとか田村論文とかに書かれているように)こういった線に沿って組み立てていけば,そんなに外れのない判例評釈が書けるはず。

 

ところが,この院生さん,最初の頃は,先行裁判例の整理ができていなかったし,それがやっとできたと思ったら,今度は,本判決の位置づけができていなくて,その原因を探っていったら,そもそも本判決の読み方が確定していなかったり先行裁判例の整理が不十分だったり。

さらには,調べたり思いついたりしたことを,何の脈絡もなく全部ぶっ込んで来るので,読者を説得するのに不要な部分が入り込んでいたり,矛盾した記述が登場してきたりしてしまう。

原稿に対してコメントを付すたびに,修正されて戻ってくるときに追加修正部分がその有様なので,いつまでたっても終わらないのです。

 

何でこうなるかなー,最初に判例評釈の書き方って言っておいたはずだよね,と思うわけです。

おそらく,この判決をどのように読んで,どのように位置付けるのか,という点について,自分の考えが固まっておらず,ワタクシのコメントに対して行き当たりばったりで修正しているから,こういう結果に陥っているんじゃないかという気がします。

 

文章を書くって,その文章を通じて読者に何かを伝えようとして(読者のことを想定しつつ)書くものだと思うのだけれど,この院生さんにとっては,ひょっとてそういうものではないのかもしれない。いや,ま,政治家やお役人さんは必ずしもそういう書き方をしないで,「突っ込みをひたすら回避するために」書くこともあるわけだけど,それと似てる?