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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

social welfare maximization or gurantee of right

以前,小塚さんと書いた「不法行為法の目的」(NBL)ペーパーについて,学生さんから質問があって,

しおみん・不法行為法に,森田=小塚ペーパーは社会厚生最大化という観点から書かれているが,それは,しおみん自説の「権利の保障」というより高次の概念から説明できる,って書いてあるんだけど,それってどゆこと?

っていうものだった。

あ,ちなみに,僕はしおみん・不法行為法は読んでないので,しおみんが本当にそのように言っているかどうかは確認してません。あくまで,この学生さんからの伝聞を元に理解した範囲で回答したので,しおみんが「いや,我はそんなことは書いておらん」と言われたら,それでもうこの話は終わりではあるのだけれども。

で,僕の回答はというと,

それって逆ぢゃね? 権利の保障よりも社会厚生の最大化の方が高次の概念だろー

というもの。

そもそも,なんで不法行為法が権利の保障をはかるのかっていうと,それは,現状の権利の配分状態が,「望ましい」からだ。現状の権利配分が「望ましい」のであれば,権利者との合意なくして一方的にその権利(まぁ利益と言ってもいいけれど)を侵害する行為は,「望ましくない」行為として不法行為を構成し,損害賠償・差止など,法による抑止の対象となる。この意味で,不法行為法の基礎にある考え方は,権利の保障だ,って言える。

じゃあ,そもそも何で,現状の権利配分状態が,「望ましい」と言えるのか?(別の言い方をすると,それを合意によらずして乱す行為は「望ましくない」と言えるのか?)

それは,自由な市場において合理的な取引がなされている限り,その取引の結果として成立している権利配分状態は,社会厚生を最大化しているはずだからだ(難しい言葉を使うのであれば,コースの定理と表現してもよいし,パレート最適と表現してもよい)。つまり,自由な当事者間で権利の移転に合意がなされるのは,その権利移転によって両者ともに効用が改善する(少なくとも悪化しない)からであって,そういった取引を繰り返していけば,社会厚生は改善していく(パレート改善していく)からだ。

そうだとすると,このようにして到達された権利配分を,当事者の合意なくして一方的に変更しようとする行為は,社会厚生を下げてしまうから望ましくないよね,ということになる。

つまり,なぜ,「権利の保障」をしなければいけないかというと,そうすることが社会厚生の最大化につながるからなのだ。だから,

権利の保障よりも社会厚生の最大化の方が高次の概念だろー

ということになる。