本日の研究会で,東電株主代表訴訟1審判決が取り上げられて,これって今までの代表訴訟・経営判断とは違う判断枠組みなんじゃ,という報告があったのだけれど,大昔にこの分野について書いたことのある身としては,それは違うんじゃないか,という気が。
大昔に「わが国に経営判断原則は存在していたのか」で書いたのは,日本の裁判所にとって,経営判断って要するに裁量の幅の問題であって,金融機関(銀行)の役員だと,外部性が大きくて規制法(銀行法とか)で裁量の幅が狭められている,だから,普通の経営判断事例だと原告株主は全然勝てなくて,金融機関の事例だと原告株主は結構勝てるんだ,という説明(ついでに,「金融機関の役員は*高度*の注意義務を負っている」というという説明の仕方は,金融機関は崇高だっていう幻想に基づいているだけで間違いだ)だった。
そのストーリーからすれば,食品安全衛生法とか建築基準法とか,さまざまな規制法令によって,役員の裁量の幅が狭くなっているケースはたくさんあって(外部性があるから規制法令が存在する),そういう場面では,役員の善管注意義務違反は簡単に認められやすい。
東電のケースもそれと同じであって,役員の裁量の幅が,原子炉等規制法なんかによって狭まっているわけだから,役員の善管注意義務違反が認められやすくなるのは,何の不思議もないんじゃない?
と思った次第。