最近,本屋やらあちらこちらで何とかhackというのをしばしば見かけるけれども,その手の本は,ある特定のジャンルを除いて,ほとんど読まないようにしてる。
おそらく,元々のhackは,hackerって言葉がコンピュータの達人のことを差してるように,その"技"のことを意味してたんじゃないかと想像する。そういう本(プログラミングのノウハウ本)はたくさん持ってる(かなりの数が積ん読だけど... orz)けれども,最近のhackは,それとはちょっと違うような印象を受ける。
どう違うかというと,一昔前に流行った,「○○法」なんて内容の本を,売れるタイトルにするためにそういうタイトルを付けてるだけなんぢゃないのかなぁ,と。
いや別に,それが悪いと言っているわけではなくて,そういうタイプのhow to本みたいなものを基本的にオイラがあまり信用してないから。何で信用しないかというと,昔からそういう本が手を変え品を変え売れ続けているから。もし,そういうhow toの「決定版」があるのならば,それがロングセラーになって他の本は大して売れないはず。そうではなくて,ちょっとずつ手を変え品を変えそういう本が出続けているということは,結局,そういった本が役に立っていないことの証拠なんぢゃないだろーか。
つまり,そういう本をどんなに読み込んでも,読者の生き方はほとんど変わらず,無駄無駄無駄無駄無駄ぁ,ということになるわけ。結局,そういうhow toものなんて,自分で失敗しながら学ぶしかないよねぇ,という気がする。読むだけ時間の無駄で,結局は,自分で自分に合うメソッドを開発するしかないことが多い。
こう言うと,「いや,そんなことはない。○○という本で,人生が変わったという人はたくさんいる」という反論が来るかもしれないけれど,もちろん,marginalなところで何らかの効果があることは否定しない。けどまぁ,問題は,population全体に対するtreatment effectがどれくらいあったかなんであって,どんなtreatmentであっても,たいていは何らかのmarginalな効果が出ていることが多いことを考えれば(どんなダイエット法だって,それでうまくいく人は何%かは存在するし,どんな霊感商法だって,それで人生が改善する人は何%か存在するはずだ),marginalな部分だけに着目することはどうかと思う。まぁ,法律家はそういう傾向があるんだけどね。