hopping around

~ヘタレ研究者は今日も逝く~

tradeoff of regulation

なんかおとついのエントリが異様に注目を浴びて,いつもの5割り増し(!)のアクセスがあったので,調子に乗ってその補足をば。おとついのエントリでは,タイトルの「実在説vs擬制説」にあまり絡んでこないので省略した内容を,このエントリではメモしておきます。

さまざまな問題の根本的な共通原因は,資源が無限ではなくて有限でしかないということなんだけど(当たり前),それを前提とした上でどうやって望ましい法制度を設計するか,というお話しで,以前ジュリスト1345号に書いた「最密接関係地法――国際私法と"Rules versus Standards"――」とも関連してくる。

生活保護でも何でもそうだけど,救済しようとする対象は,均質な存在ではなくて,一定のdistributionを持っている。すごく単純なケースの一次元で書くなら,たとえばこんな感じ:

normaldist2010a.gif

赤の実線が救済したい対象。青い破線が救済の必要のない人たち。

この場合,もしも資源が無限にあるのならば,このdistribution全体に救いの手をさしのべる(たとえば救済条件の閾値xを∞にする)ことが望ましい。けれども,資源は有限なので,そんなことはできないのが普通で,たいていはどこかに閾値を設定する必要が出てくる。

そこで問題は,そうやって閾値を設定したとしても,それはさまざまな意味で完全なものではあり得ない。抜け穴のない完璧な法制度っていうのは作れない(別の言い方をするのなら,そのような法制度を作ることには膨大なコストがかかってしまうから,資源が有限な現実世界では作成不可能)。

なので,普通の状態では,閾値を下げれば下げるほど,本来であれば救済の対象ではないにもかかわらず,救済の対象になってしまう者(俗に言う「不正受給者」)が増大しがち。不正受給するインセンティヴが増えるとともに,閾値を下げれば下げるほど,救済の対象となるべき人たちの割合が減り,逆に,本来救済の対象ではない人たちの割合が増加するからだ。

もちろん,そういった不正受給を減少させるために,モニタリングをしっかりするという対策は採りうるけれど,当然のごとくそれにもコストがかかる。厳密なチェックをすればするほど,マンパワーが必要になる。公務員の人件費もタダではないので(刑事制度を使うなら,警察・検察・裁判官の人件費もすごい)。そうすると,不正受給を減らすためにかかるコストよりも,不正受給によって無駄な支給がなされてしまうコストの方が小さければ,そういった「無駄」な救済は,あきらめて放置してしまうことの方が望ましい。

そうすると結局,どこに救済の閾値のラインを引くべきかは,

- (a) 赤い分布に従う救済対象のうち,どこまでを救済することが望ましいか

- (b) 青い分布に従う救済の必要のない対象のうち,不正受給として紛れ込んでくるのをどこまで「我慢」するか

- (c) そういった不正受給を抑止するためにどこまでコストをかけるのか

っていうトレードオフを,*財源問題の他に*さらに考えなければいけないことになる。しかも実際には,こんな一次元の単純な問題じゃなくて,もっと複雑な問題のことが多い。

なので,そういったことを考えて政策判断できる人はすごいなぁ,と感心するわけなのです。特に,前のエントリでも書いたように,最近は,(b)(c)に対する「民意」(?)の目がとみに厳しいことだし。