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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

owner of bank deposit

本日,某所で,「銀行預金の帰属に関する客観説と主観説」というのを読まされて,あー,そういえばそんなのあったなー,と思いつつ,すごく違和感を感じた次第。

 

どういうことかというと,電子マネーなどの最近の支払手段だと,誰が支払手段の利用権を持っているのかということは,名義人に決まるように約款で書かれていて,「資金を出捐した人を特定していく」なんて作業をするわけがない。というか,そんな作業を要求されたら困る。誰が出捐したかというのは,利用者側の事情であって,決済機関にはそんな事情を知りうるすべは普通はないからだ。名義人が利用権を持っていることを前提にして,後は,全て機械的に処理していくことで,支払決済の効率性を実現している。

 

ところが,銀行預金の帰属については,資金の出捐者が預金者だ,というのが最高裁判例になっている。

そんなバナナ。

もちろん,そういう判例法理が成立した大昔においては,そもそも銀行取引約款が,預金者の特定についてきちんと書かれておらず,解釈の余地が残されていた可能性はある。それに,銀行(決済機関)が資金の出捐者を知り得なかったとしても,債権の準占有者に対する弁済の法理によって銀行が救われる余地があるから,必ずしも不当な結論が導かれるというわけではない。

けれども,近時の支払手段における建付けからすると,銀行預金における預金者の特定についてのこの判例法理は,明らかに異端であり,合理性がないように見える。

 

だとすると,銀行取引約款をきっちりと書き込むことによって,銀行預金についても,名義者を預金者として取り扱う,という仕組みに変更してしまうことはできないんだろうか?

別の言い方をすると,最高裁判例法理は,どこまで強行法規的な性格を持っていて,契約によるそこからの離脱が認められるのだろうか? 判例は,あくまで,契約の解釈として,預金者の特定をしているのに過ぎない,と捉えるのであれば,約款の書き方によっては,名義で預金者を特定する(そして後は出捐者・名義人という当事者間の関係として解決してもらう),ということができそうな気がするんだけれども...

 

もちろん,従来のルールをいきなり大きく変えるとなると,預金者に対する周知が必要になるけれども,銀行預金以外の支払手段では,名義で権利者が特定されるという取扱いがここまで一般的になっている以上,預金者にとって不意打ちになるとも考えにくい。