藤田せんせから,ソフトロー研究8号の抜き刷りを送っていただいたのですが
その送り状の中に
多くの法律家にとっては,「ソフトローのようなキワ物に手を出したあげく,ついに気が狂ったか」と思われるような内容ではないかとおそれます。
と書いてあって,めちゃ受けました。
ちなみに,僕自身は,ソフトローは「キワ物」なんかではなくて,むしろ一番自然な姿だと思って今までやってきました。
なんでかって言うと,「法律」(ハードロー)というのは立法者が作るもの。立法者は,そのハードローのベネフィットもコストもinternalizeしてないし,政治をめぐる様々な力関係の影響もあって,よろしくないルール形成をしてしまう蓋然性が結構ある。それに比べれば,実際に社会において活動し,ルールのベネフィット・コストをinternalizeしている人たちが自発的に作りあげてきたルール(=ソフトロー)は,望ましいものである蓋然性が高い(もちろん,externalityがあったりすれば問題だけども)。中世のイタリア商人たちや七つの海を制覇したイギリス商人(海軍じゃなくて)たちが作り上げたすばらしい法体系を見ろよ!っていう風に思うわけです。
こういう風に言うと,「それ何てChicago的」と突っ込まれそうです。はい,その通りですが何か?
というか,よくChicago=market至上主義=self-interested actorな性悪説と思われていることがあるけれど,それはむしろ逆なんじゃないか,という気がします。上に書いたような意味での"Chicago"的というのは,「普通の人っていうのは実はすごい賢い人たちだ」という考えに基づいていてそれって性善説(というか,人間に対する信頼)じゃないか,と。