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~ヘタレ研究者は今日も逝く~

comparative -- academic

いとうYさんのところで,比較法について触れられていたので,関係するお話を書いたばかりな身として一言をば。

僕が何書いたかっていうと,射倖契約の注28に

この点に関連して,比較法という研究手法を採用する際の注意を一つだけコメントしたい。外国法を調査するのには多大なコストがかかる。しかし,だからといってそのコストを回収したいがために,外国法の調査結果を安易に日本法に接続することはすべきではない。その外国法が日本法の解釈・立法にとって有用でなければ,それを切り捨てる冷静な勇気もときには必要である。かつて川浜昇教授は,「法学者が経済学の修得にコストをかけると,その埋没費用を無駄にしないために……,現実を経済学的分析に都合のいいように曲解する危険性がいっそうあるかも知れない」と指摘した(川浜昇「『法と経済学』と法解釈の関係について(四・完)」民商109巻3号413頁,443頁注2)。同じことが比較法研究にも当てはまらないという保証はない。

って書いたんですが,後で藤田せんせに,「同じネタを情報・インセンティヴ・法制度で使ったよ」と指摘されて,my gooooooooooosh! 昔読んだはずなのに忘れてたよっ,と頭抱えた次第であります。まぁ何というか,書き方が,藤田せんせが微妙に裏側から遠回しに書いているのに対し,僕がま正面ストレートで書いてるところが,二人の性格の違いがもろに出ていて興味深いですね。気配りの藤田,周りを気にしない傍若無人なオイラ。

ちなみに,藤田せんせのコメントは,も一つ,射倖契約概念のフランスでの使われ方についてもあったんですが,それは横道になるので省略(←ここでも僕の不勉強さが露呈...)。

で,いとうYさんのを読んでまず思ったのは,「それ,比較法の話ぢゃなくて,外国法紹介の話では?」。法ルールを比較して,「日本法への示唆」を引き出すつもりで書くなら,「日本の内在的な問題意識に根ざさない」のはまずいですが,ただ単に紹介するだけなら,無害ではあり得ても有害ではない。特に最近は,アメリカやEUの法ルールについては,渉外弁護士事務所が提携先からさくっと取り寄せる資料のスピードに学者がかなうはずがないわけですが(企業買収系とか特に),それ以外の法分野とかアメリカ・EU以外の国の法ルールについては逆に情報が手薄になりつつあるので,みんなの共有知識を増やすための地道な作業の重要性が増してきているんぢゃないかという気がします。僕は,他の人の努力にフリーライドして,楽をするつもりなので,ミンナガンバレ

それともう一つは,多分,academicとはどういうものか,というところの見方が,僕といとうYさん(そして他の多くの実定法学者)とでは微妙に違うかもしれない,という気がする。以前,民商(ヨーロッパ国際会社法のやつ)で,次のような注(またもや本文でなく,注)を書いたことが:

もっとも,大した実益がなく,面白いだけの研究にもそれなりの意味があるという見方もある。例えば,道垣内弘人「英国ジャージー島におけるノルマンディ慣習法の適用」北村一郎編・現代ヨーロッパ法の展望505頁(1998)を参照。

参照元が何ともステキですが,本人気付いてないだろうなぁ... それはともかく。僕の場合,父親が歴史学の研究者であることもあって,法学のような「実学」よりも「虚学」の方が本当の「学問」だ,というイメージが何となくあります(彼は法学をバカにする)。それで,世の中にすぐに役立つものより,役立たないものの方が学問として「格上」ぢゃん,という頭があるのですね。知的楽しみを提供してくれればそれでよし。

だから,僕の今までのペーパーは,すぐに世の中に役立たないどーでもいい変なものの割合が他の人よりも多いわけです(落合還暦とか江頭還暦とか宮城の酒とか)。助手の頃も,基礎法研とかもときどき出てましたしね。

そこで聞いた松本英実さんのフランスの商事裁判所の歴史の分析(フランス絶対王政の成立過程で,王権が台頭しつつあった商人階級を味方に付けて封建領主に対抗するために商事裁判所に特権を与えていった)とかも面白いと思うし,Avner Greifとかも結構好き(←これは前に書いたか)。

もちろん,ファンドを申請する際には,強引に「役に立つ」と引きつけて申請書を書くわけですが,基本は自分が楽しければそれでよし,です。