びば! 元"colleague"がUS大統領に!(挨拶)
ちょっと前に某国税庁の人たちが,法律相談に来たときのお話。
もちろん,具体的なことを書くのは信義にもとるので,抽象的な話しか書かないけれども,要するに,「利息」って契約書に書いてあるものを,利子所得とみなして課税できない?っていう相談だった。僕が昔書いたペーパーにちょこっとそこのところに触れているのがあったので,できれば意見書も書いてくれないかなぁ,と。
でも話を聞いてみると,確かに契約書に「利息」って書いてあるとしても,実質的には利息ではなくて別物なので,難しいんぢゃ?という筋だった。そこで,意見書の執筆も辞退。で,このエントリのお題はそこではなくて(ここまで前置き)。
その実質論の他に,そのケースで利子所得だっていって課税すると,他にも明示的に「利息」って書いていなくても,実は利息が取られているケースがたくさんあって,そのケースと実質的には同じなのにもかかわらず,これまで全く課税されてこなかったんだから,そのケースだけ,たまたま明示的に「利息」って契約書に書いてある,っていう理由だけで課税するのは,一貫性がないんぢゃ?ということも,そのときに指摘してみた。けれども,後になってからよくよく考えてみると,この理由付けはいまいちだったかもなぁ,というのが話題。
確かに,明示的に利息って書いてなくても,黙示的に利息が取られているケースは無数にある。たとえば,「お前のものは俺のもの」で挙げた取引信用で,USで標準的な取引条件の一つである"2/10 net 30"なんかの場合,まじめに年利率を計算すると44%になる(←これってさらにまじめに考えると,利息制限法いはーん)。でも,おそらくこれまで,どんな国の課税当局も,こういった取引信用に対して利子所得を認定して課税することをしては来なかった。
それはなぜなんだろう?ということなんだけど,おそらくエンフォースメントにかかるコストの問題と考えるのが,一番素直そう。つまり,そういった取引を一本一本調べて,黙示的な利息を全てについて計算していくことには,とんでもないコストがかかって,課税処分によって得られる分を課税にかかるコストが上回ってしまう蓋然性が高い。それだったら最初から課税しようとしない方がいいよね,もっと「取りやすいところ」から取ろうぜ,っていうことになる。
この意味で,課税の公平性とか一貫性とかは,別に絶対的な原則でも何でもなくて,こういったエンフォースメントのコストとか政治的な要因とかによっていくらでも曲げられてしまうものに過ぎない。他にもたとえば,僕のような給与所得者に比べて,中小企業経営者なんかの事業所得者の方が所得の捕捉率が低いからといって,じゃあ全ての人を公平に捕捉できる消費税が公平でいいかっていうと,別にそういうことにもなってないし。昔の金子竹内論争(今は亡き株式配当課税)もだし。
いずれにしても,この辺,きっと中里せんせあたりが何か書いてそうな気がするので,それ見た方が早いかもしれない。
まぁ,慣れないファイナンスの議論に長々とつき合ってくれた某国税庁の方々――そのうちの一部は普段は検察官とか裁判官だろうけど――,どーもお疲れ様でした。